rival in love
「お疲れさま」 労いの言葉と共にことん、とデスクに置かれたカップからふわりとコーヒーの芳香が舞った。 ここ2時間帯ほど向き合っていた書類から目を上げるとスカイブルーのエプロンドレスの少女が微笑んでいた。 途端に書類の面倒な案件で凝り固まっていた頭がふわりと和らいだ気がしたのは、コーヒーを置いた少女が最近やっと恋人になった少女だったせいだろう。 「アリス」 呼ぶ名前にも少し甘さがこもる。 それに気が付いたのか、グレイに見上げられたせいかアリスは少しだけくすぐったそうに笑って言った。 「仕事が溜まってるのはわかるけど、やりすぎても効率悪くなるわよ?」 「ああ。わかってはいるが、ナイトメア様がまた寝込んでいるからな。」 「あー、そういえば5時間帯前ぐらいに廊下に血痕があったけどあれは・・・・」 クローバーの塔において廊下の血痕はさほど珍しいものではない。 ただしハートの城と違ってその血痕の主は一人に限定されているが。 アリスの言葉をため息一つで肯定してグレイはペンを置いた。 「君は休憩中か?」 「ん?そうよ。少し長めに取って良いって言われたから。」 きっとナイトメアが倒れてるせいね、と呟きながらアリスは少しだけグレイから目線をそらした。 その瞳が苦笑しているように細められる。 アリスが照れくさい時にする独特の仕草にグレイは言った。 「それで真っ直ぐ俺の所へ来てくれたのか?」 「っ!」 言葉にすればぱっとアリスが赤くなる。 どんな言葉よりも正直なアリスの反応にグレイは堪えきれずに少し笑ってしまった。 「わ、笑わないでよ!」 「いや、すまない。君があんまり可愛いからついな。」 「〜〜〜〜〜」 自分は可愛くないと思いこんでいる彼女にとってこの言葉はどうも対処に困るらしい。 今も赤くなったままどう答えたらいいのかわからないという顔をしているアリスにグレイは目を細めた。 (どこが可愛くないんだ。・・・・こんな可愛い女、他に見たことがない。) と考えてから自分の思考に苦笑した。 アリスが可愛いというのは自分の愛情方過多のせいではないと断言出来るが、こんなことをさらりと考えているあたり相当アリスにいかれているらしい。 「〜〜〜もう、コーヒー冷めちゃうわよ。」 「ああ」 慌てたようにそう言われてデスクの上で放置されていたコーヒーを思い出したグレイはそれをそっと手に取った。 途端にアリスからちょっと緊張したような気配が伝わってくる。 おそらくそれは以前のくせなのだろう。 以前・・・・クローバーの塔の前にアリスがいた所、時計塔での。 (・・・・コーヒーの採点、だったか。) カップに口をつけながら前にアリスから聞いた事を思い出す。 時計塔に居た時、時計塔の主ユリウス=モンレーにコーヒーを入れると採点されたと。 『100点のコーヒーを入れようってムキになったわ』 そう話したアリスの顔はとても穏やかで懐かしそうで、聞いた時は胸中に広がったどす黒い感情を押し殺すのに苦労した。 けれど恋人になった今、苦い思いが広がるのは変わらないが少しだけ時計屋に同情も覚えるようになった。 コーヒーの採点をしていたというユリウス=モンレー。 偏屈で他人と関わる事を嫌悪していると評判の時計屋。 アリスが家族のようだったと話す男はきっと・・・・。 「・・・・・・・・」 無言でグレイはコーヒーを一口飲んだ。 途端にふわりと口の中に広がる香りは店で出されるものより美味く感じる。 「美味いな。」 素直にそう口にするとほっとしたようにアリスが笑った。 無防備というに相応しいその笑顔は全面的な信頼と好意が隠すことなく現れていて。 「・・・・時計屋は苦労しただろうな。」 思わず呟いてしまった言葉にアリスがきょとんっとしたように首を捻った。 「ユリウス?」 「ああ・・・・」 頷くだけでそれ以上答えずグレイはもう一口コーヒーを飲んだ。 手の中に飛び込んできた小鳥に邪険にはできない。 その小鳥が手の中で安心しきった様子で囀ってくれたなら、少しでも怯えさせたくないと思ってしまうだろう。 そうして ―― とうとう手の中からこぼれ落ちてしまうその時まで、大切に守ってしまったのだ、時計屋は。 (滑稽だな。) 滑稽だが、気持ちはわかる。 もしもこのクローバーの塔に最初にアリスが来たとして、ユリウスを失った喪失感に参っているような事がなかったとしたらたぶん、自分も同じようにしてしまう気がしたから。 けれど ―― 「?グレイ?」 訝しげに首を傾げるアリスは小鳥ではなく、今ここにいて。 「アリス」 名前を呼んで手招きをすると素直にデスクを回って近づいてくる。 その細い手首を掴んで引き寄せれば転がり込んでくる柔らかい体と、ふわりと匂うもう染みついてしまった煙草の香り。 「え?え?」 戸惑っているアリスを膝の上に座らせるように抱き上げて満足げにグレイは口角を上げた。 (次に時計屋と会う時は殺し合いだな。) そう言えばアリスは否定するだろうが、グレイは絶対にそうなると言い切れる。 手の中で大切に大切にしていたものを奪われれば取りかえそうとするのは当たり前だ。 だが。 「返す気はさらさらないがな。」 「?」 訳が分からないというように眉を寄せる時計屋の大切な小鳥。 その髪を軽く梳いてグレイはアリスの耳元に囁いた。 「君は俺の愛しい恋人だって事だ。」 「!」 かあっと赤くなるアリスに少しだけ意地悪く笑って見せてから。 ―― 少しだけ乱暴にその唇を奪った・・・・ 〜 END 〜 |